米にもあった大艦巨砲主義またしても航空機サイトの癖に航空機とほとんど関係ないお題をぶち上げてしまいました。さて、第二次世界大戦において空母機動部隊という新たな存在が脚光を浴びるようになり、それまで最強と思われていた、大きな船体を持ち大きな大砲を積み高い防御力を持った「戦艦」は航空機の前に敗れ去り、過去のものとなってしまいました。特にアメリカの大規模な空母機動部隊からの大空襲は数々の日本艦艇を生みのそこへと沈めてしまいました。かの大和もその例外ではありません。 そのアメリカの大規模機動部隊と、日本の「大和」「武蔵」の竣工のせいなのか、一般的にアメリカは早々に航空主兵主義に転向し、日本は旧態依然とした大艦巨砲主義に凝り固まっていたという見方が一般的です。でも果たしてそうだったのでしょうか? 日本に確かに戦艦の威力を信じて疑わなかった人たちがいたのは確かですが、本当に空母を役立たずと考えるのが主流だったのか。逆にアメリカは本当に航空主兵主義一本で纏ったのか。それを検証してみたいと思います。 先にことわっておきますが、戦艦の艦砲射撃は航空機による攻撃に比べ破壊力・持続性・全天候性・費用対効果などで大きなアドバンテージを持っています。全てが全て航空機が優れているというわけではありません。 一、数 ひとつの目安が建造数です。もっとも国力によって建造できる数は大幅に違ってきますので(日本とアメリカなどその良い例)一概には言えませんが、それでもある程度の目安にはできます。では見てみましょう。
※「戦艦」は巡洋戦艦を含みます。日本の「護衛空母」は小型商船改装空母及び低速改造空母及び鳳翔のことです。なお隼鷹型は軽空母に分類します。正規空母は満載排水量2万t以上のものと蒼龍とワスプを勝手に分類します。さらに総トン数は日本海軍は公試排水量です。×1.1~1.2くらいで満載排水量になると考えてください さて、この表を見ていただいたら分かるように、数だけ考えると日米英は日本が一番戦艦保有数が少なく、空母保有数も多いのです。また総トン数も、公試排水量なのにもかかわらず英米のそれを上回っています。 戦艦の保有数が少ないのは、ワシントン海軍軍縮条約において主力艦保有数が5:5:3に制限されてしまったことも大いに影響していることでしょうが、日本が最も多く空母を持っていたという事実はかわりません。 そして1939年9月、ドイツはポーランドに侵攻を開始し、第二次世界大戦が勃発します。その後日本海軍が正規空母6隻を結集した空母機動部隊によってアメリカ海軍太平洋艦隊母港であるハワイの真珠湾を攻撃、日米が参戦します。このハワイ真珠湾攻撃とこのすぐ後に起こるマレー沖海戦において航空機の有用性が証明されたのです。そして1945年8月に第二次世界大戦は終結するのですが、それまでに新造された艦の数を以下に記しました。
※アメリカからイギリスへの貸与である護衛空母「アーチャー」「アタッカー級」「アベンジャー級」はイギリスに含んでおります。これら39隻の総トン数は約60万3600トンとなります。これをアメリカに足すとアメリカの総トン数は241万3960トン、戦艦の建造割合は日本より僅かに高い程度になります。 こうなると工業力を発揮したアメリカが恐ろしいほど大量に空母を建造しています。「週刊空母」と言われるカサブランカ級護衛空母など、1年余りの間に50隻を建造するという開いた口がふさがらないほどの工業力です。確かにこの意味ではアメリカは航空主兵主義に転向したとも言えるでしょう。しかしその一方でアメリカは戦艦の建造もやめていません。日本が竣工させた戦艦は「大和」「武蔵」だけですが、アメリカは「アイオワ」以下11隻を竣工させています。日本をトン数に直しても、戦艦14万トン前後に対し、満載排水量で空母40万トン強です。決して戦艦ばかりに固執していたわけでは無いのです。 一方アメリカは戦艦総トン数80万5190トン、空母に比べて半分以下とはいえ、日本の戦艦と空母の建造割合よりやや戦艦の比重が高いのです。 このように建造した数を見ていけば、アメリカは日本よりも戦艦建造に力を入れていた、ということもできるのです。 さらには進水したのがいつなのかを考えると、日本の「大和」「武蔵」は1940年に進水という、未だ航空機の有用性などタラント空襲もビスマルク追撃戦も起こっていない状況での建造です。この2隻が航空機の有用性が証明された後も最後まで建造され竣工、戦力化されるのは当たり前のことといっていいでしょう。「信濃」も会戦の時点で戦艦としての建造は中止されました。 一方のアメリカは「アラバマ」「アイオワ」「ニュージャージー」「ミズーリ」「ウィスコンシン」「アラスカ」「グアム」と7隻を建造しています。仮に日本が善戦していればさらに「イリノイ」「ケンタッキー」「ハワイ」と完成していたことでしょう。 二、運用 一で、数においてアメリカは日本よりも戦艦よりであったと言えることはお分かりいただけたと思います。では実際に太平洋戦争中にどのように戦艦や空母が動いていたか、主要な海戦を通して追っていきましょう。なお日本の敵はアメリカだけではなく、イギリスとも戦闘を行っているため、対イギリス戦も書いています。
この2つの戦闘が航空機の優位性を世界に知らしめました。真珠湾ではアメリカ旧式戦艦群が壊滅し、マレー沖海戦ではイギリス戦艦・巡洋戦艦が航空機の攻撃で沈没しました。 なお真珠湾攻撃によってアメリカ太平洋艦隊の戦艦は事実上消滅したため、この後空母中心による編成に「せざるをえなく」なります。
日本軍による東南アジア占領中に起きた唯一の航空機対水上艦艇の海戦です。このときは連合軍が重巡1、軽巡2が小破する程度でした。
東南アジアの占領中に起きた海戦の中で最も大規模なものです。この前2月19日~20日のバリ島沖海戦や、この直後に起こった日本軍による追い討ちのバタビヤ沖海戦と、全て巡洋艦・駆逐艦による殴り合いでした
この戦闘で日本軍は勝利し、以後イギリスは終戦が近くなるまで太平洋戦争に顔を出さなくなります。本国がピンチで日本どころじゃない、というのもありそうですが。
この戦闘によって日本は4隻の正規空母と多数の熟練搭乗員を喪失し、大規模な空母機動部隊を編成することが事実上不可能になってしまいます。つまり、この後日本は空母機動部隊を編成したくても中々できない状態になっていくわけです。 そしてこの後主戦場は太平洋の大海原から、島が密集するソロモン諸島へと移っていきます。
※補足 アメリカ側が水上レーダーを使い始め、日本側に初めて夜戦で勝利しました ここまでの一連の海戦では日本はサボ島沖夜戦を除くと戦術的勝利を収めていますが、本来の目的であるガダルカナルへの補給という任務は果たせず、戦略的な敗北に終わります。
この戦闘で空母「ホーネット」を撃沈され「エンタープライズ」を中破させられた米軍は、太平洋に空母がいなくなってしまいます。この後「エンタープライズ」の修理が終わる(とは言っても少しの間だけ)まで、米軍は英軍から空母「ヴィクトリアス」を借りて難を凌ぎます。一方の日本軍も「翔鶴」が中破してしまい第一航空戦隊は後方へ下がったため、ソロモン海域で行動可能な空母は「隼鷹」のみとなります。この頃は日米両方で空母不足でした。その分双方陸上基地から発進する航空機が頑張っていますが…特に日本は悲惨なくらい…
※補足 14日夜戦は太平洋戦争を通して、唯一戦艦対戦艦の真っ向からの砲撃戦が展開された戦いです。しかし残念ながら「霧島」は飛行場砲撃を行っていたために主砲には三式弾(対空焼夷弾)と零式通常弾が装填されており、「サウスダコタ」の艦橋をズタズタして戦闘不能にすることには成功しますが、その後ろの「ワシントン」によって撃沈されました 昭和18年はこれといった大規模な海戦はなく、ソロモン諸島を巡った双方が巡洋艦・駆逐艦を主力にした海戦(コロンバンガラ島沖夜戦・ベララベラ沖海戦など)や、陸上航空隊と水上艦艇の戦闘(レンネル島沖・イサベル島沖・ビスマルク海各海戦やプーゲンビル島沖航空戦など)が多く、これといったものはありません。 但し、昭和17年末から昭和18年にかけて、アメリカ海軍の新鋭空母「エセックス」級が大量に竣工し始めます。
これを見れば分かるように、米軍の空母の数は一気に増え、空母を主力にすえた大規模な攻撃が始まります。
サイパン・グアム周辺の制海権を争ったこの海戦で日本は「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」の3空母とその艦載機及びパイロットを失います。そして米軍が実用化したレーダーによる早期発見とCAP(戦闘空中哨戒、戦闘機がパトロールする)網、対空砲のVT信管(近接信管、レーダー内蔵で敵の近くに来ると勝手に炸裂する信管)といった新兵器の前に日本軍攻撃隊はバタバタと落とされ(「マリアナの七面鳥うち」とまで形容されています)、その結果日本軍の空母戦力は実質的に壊滅します。空母というハードが少なくなったのはもちろん、載せる飛行機もなく、またその飛行機に乗るパイロットもいませんでした。この後日本軍は空母機動部隊を編成しようにもできないという状況に追いやられてしまいます。
この総力を挙げた戦闘での敗北により小沢艦隊の空母は全滅、戦艦「武蔵」「山城」「扶桑」、重巡5隻軽巡1隻駆逐艦7隻を失い日本海軍は事実上壊滅してしまいました。貯蓄の燃料も少なく、南方からの輸送経路(シーレーン)は潜水艦によってずたずたにされます。この後多号作戦と呼ばれる度重なる輸送作戦の間に多数の駆逐艦が撃沈され、ますますジリ貧になって行きます。一方の米軍はさらに航空戦力を充実させていきます。ただし打撃部隊の随伴は忘れません。 なおこの戦闘以降、組織的な特攻が行われるようになります。
最後の死力を振り絞ったほとんど面子のためだけのこの海戦で戦艦「大和」も沈み、燃料もなくなりました。この後日本海軍はただ港で停泊するだけとなってしまいます。一方の米軍は脅威は陸上基地から飛んでくる航空隊のみとなり、空襲はもちろん艦砲射撃までほとんどやりたい放題になります。 そして7月24日と28日、米艦載機による呉軍港に対する大空襲があり、残存の艦船のほとんどが沈没ないし損害を受け、ハード的にも日本海軍は壊滅します。 これが太平洋戦争のおおまかな戦歴です。 戦争後半、艦載機も足りないしパイロットもいない、機動部隊を編成することができなくなった時期を除けば、米軍が空母を使用しているのに対しては日本軍もまた空母であり、日本が戦艦を繰り出した時は米軍もまた戦艦を繰り出していることが分かると思います。 なので決して日本軍は戦艦ばかり重視していたのではなく、空母も有効に使っていたことが分かると思います。この状況を「日本は大艦巨砲に染まっていた」というならばアメリカもまた「大艦巨砲に染まっていた」ことになります。 総論 アメリカも日本も結局のところ太平洋戦争では空母機動部隊を中心とした海軍に移行しており、日本だけが大艦巨砲主義に固執してアメリカはさっさと航空主兵主義に移った、という論は正しくないです。もちろん日本が大艦巨砲主義を捨てきれなかったのは事実ですし、それをとやかく言うつもりもありません。仮に航空主兵主義に完全に転向したところであの状況から完全に空母中心にするのには国力があまりにたりなすぎます…。 しかしそれと同時にアメリカもまた大艦巨砲主義を捨てきれずにいたのです。そもそも空母を主力に使い始めたきっかけが空母しか残らなかったからですし、日本よりも高い空母に対する戦艦の建造数の割合、緒戦で壊滅したのにも関わらず再び現れた戦艦部隊、かならずと言っていいほど大海戦には随伴している打撃部隊の存在からもそれは明らかです。アメリカの凄さは航空主兵主義と大艦巨砲主義を同時に両立できたことです。 結局のところありきたりなところに行き着きますが、日本の敗戦の最大の原因はアメリカとの隔絶した国力の差であったと私は思います。 大和の存在をもってして大艦巨砲主義が云々と言い、その上それが原因で負けたという論は、ほとんど難癖に近いものと言えるでしょう。 ================================ おまけミニコラム 大和をやめて空母を作れ? 時折そんな話を聞くことがあります。 まあ言いたいことを簡潔にまとめれば、「大和級3隻(19万5千トン)建造する鉄があれば空母がたくさん作れる」という話ですね。 結論から言えば無理です 船の数というのは単なる鉄鋼の質量の差し引き計算でどうにかなるものではありません。今回の場合、空母くらい大きな艦船を建造できるドック・造船台の数にも左右されますし、実際に大和の建造年代を考えると大した数建造できないうちに戦争へと突入することでしょう。戦争中に竣工する空母の数もおそらくたかが知れていると思います。 さらに空母のハードだけでなくそれに搭載する大量の艦載機、それに乗る大量のパイロット、そのパイロットを育成できる巨大な教育システム、その教育システムで使用される大量の練習機と大きな基地、そしてそれらシステムのバックアップ体制…問題は山積みです。 よって「大和の建造をやめて空母をたくさん」という論は現実的に考えると不可能です。それらが仮に揃うとしても揃う頃には、既にアメリカの前に日本は風前の灯となっていることでしょう。いや、アメリカの侵攻による戦局の悪化によって、平時では揃うかもしれないものも揃わなくなる公算が大です。まあ当時の日本では揃えるのは無理だったでしょうが… ジャンル別一覧
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